夫婦別姓を認めない民法の規定について「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」と国に賠償を求める裁判を起こしていた方々がいて、これについて先日最高裁の判断が出ました。
ご存知のとおり判断は「合憲(憲法に違反しない)」というもの。
その理由は、
「夫婦同姓の制度は我が国の社会に定着してきたもので、家族の呼称として意義があり、その呼称を一つにするのは合理性がある」などです。
そのうえで、「夫婦別姓については国会で論じられるべき」ということでした。
ちなみに、15人の裁判官のうち10人が「合憲」、5人が「違憲」という結果だったようです。
■「違憲」派の理由
婚姻の自由を侵害する
- 多くの場合、夫側の姓を名乗ることになり、妻の方がもともとの姓を使用できなくなる。
- 女性の社会進出が進み、結婚する前からあった状況が結婚後も継続することが増えて旧姓を使用する合理性・必要性が増している。
- そんな中で“夫婦別姓”という例外を認めないことは、多くの場合、妻だけが“自分らしさ”のようなものを損ねられて負担を負うことになるので、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない」。
- その上でこういった負担を避けるために事実婚のような選択をとる人が出てきているので、夫婦同姓を義務付ける今の民法が「婚姻の自由」を事実上制約していて、この「婚姻の自由」を定めた憲法(24条)に違反している。
婚姻における夫婦の権利の平等を侵害する
- 例外なく、夫婦どちらかが元の姓を維持して、残った方が姓を変えるというのは、「結婚における夫婦の権利の平等」を阻害していて、この「結婚における夫婦の権利の平等」を定めた憲法(24条1項)に違反している。
■「合憲」派の理由
- 姓が家族の呼称であることを重視し、その呼称を一つにすることには意義がある。
- 同じ姓を名乗ることで、家族の一員であることを実感できるという意義がある。
- 結婚で夫婦どちらかが姓を変えなければいけないという不利益は、旧姓使用(通称)が広まることで一定程度緩和できる。
なお、これに対して「違憲」派は次のような意見を示しています。
- 家族形態も多様化(離婚や再婚の増加、非婚化、晩婚化、高齢化など)している今、家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない。
- 家族の一員という実感や夫婦親子の実感が、“同姓”だからわくのか、その実感のために同姓が必要か。少なくとも、同姓でなければ夫婦親子の実感が生まれないとは言えない。加えて、同姓は夫婦親子の証明にはならないし、夫婦親子であることを示すといっても、第三者がそうかもしれないと受け止める程度にすぎない。
- 通称は公的な文書には使用できない上に、通称名と戸籍名が異なることで新たな問題を生み出す。
さて、この結果を聞いて私がまず思ったのは、
裁判官はどういう人達だったのか?
ということ。
結婚後は夫の姓を名乗る人が大半という現在において、夫婦同姓の不都合や違和感を感じる機会は明らかに男性の方が少ないだろうし、年齢が高いほど固定的な価値観を持ちやすいと思ったのです。
で、裁判官&裁判長の男女構成を見ると、15人のうち3人が女性で、すべての女性裁判官は「違憲」だったとのこと。
この構成比が50:50で、且つもっと若い方だったなら判断は違っていたんじゃないかなぁ。。。と思うわけです。
また、損害賠償までは不要かもしれません。
だけど「夫婦同姓が義務」じゃなくて、「夫婦同姓でも別姓でもいいよ」と選べるようにしてあげればいいのではと思うのです。
まぁ、そういう意味では今回の最高裁判断の結果とは同じかもしれないですが、でもその「合憲」とする理由には共感できないのです。
私も家族の一員やら意義のためにどうしても同姓でなくてはいけないとは思えないし、仮にそれで不都合な部分があるとしても、別姓を選択する人が分かった上で別姓を選択すればいいのではと。
その「別姓を選択する」ことが今のように事実婚しか術がなく、相続とかで色々問題が出るようなとこまで、まるでペナルティのように大変な思いをさせられなきゃいけないことなのかなぁと思うのです。
さらに、通称使えばいいでしょ?ってのもひどいなぁと。
いくら会社とかで通称が認められるようになってきてるとはいえ、あくまでも会社は会社だし、人の管理においては賃金台帳や労働者名簿は戸籍名で管理しなくちゃいけないわけだから、会社には通称まで管理する必要性はなくて、むしろコストにしかならないのに…
しかも会社が通称を認めなければいけないなんて法律はないのだから、通称だって認められない人もいるはずなのに…
なんて思いました。
(つづく…)