1週間ほど前に起こった事件ですが・・・
お母さんも有名な芸能人。
事件を起こした子どもも芸能人。
大きなニュースとなり・・・今なおニュースとなっています。
先日、平日に休みがとれて家でワイドショーをみる機会があって。
ワイドショーでは、ずーっとこのニュースをやっていました。
そしてその中でテーマになっていたのが。
「成人の子どもが起こした事件と親の責任」
残念ながら、毎日のようにどこかで事件は起きていて。
その事件を起こした人にはたいてい親がいて。
もちろん被害に遭った人にも親がいて。
自分に子どもができてから。
ニュースを見るたびに「親の気持ち」を考えることが多くなってきました。
だからついTVを見続けてしまったのですが。
ワイドショーでは、今回の事件を踏まえて「街の人の声」を収集した、とやっていました。
子どもがいる102人のお母さんに
「今回の事件は親に責任があると思うか・ないと思うか」
という2択をインタビューしたそうです。
その結果。
親に責任があると思う人は52人。
親の責任はないと思う人は50人。
となったと説明がありました。
観ていて、なんだかモヤモヤしました。。。
アンケートだからしょうがないのだけど。
「親の責任がある」とか「ない」とか、2択で語れることではないんじゃないかと。。。
たぶん、色々な側面があって。
子どもが成人している以上、事件そのものについては親の刑事責任はない。
法的にはそう。
そんなの分かっている。
それに。
自分が子どもの立場として、自分が何か人に迷惑をかけたり、傷つけることをしてしまったとしたら。
「親のせいだ!育て方が悪かったんだ!」なんて絶対に思わない。
だけど。
自分が親の立場として、自分の子どもが何か悪いことをやってしまったとしたら。
「私(親)のせいではない!」と心底思えるかなぁ。
「育て方が悪かったんだ!」と。
これまでのすべてを全否定することはないとしても。
「あのときこうしておけばよかったのかもしれない」と。
過去の自分のしたことを肯定しきれないことは、たくさんあるのじゃないかなぁ。
小学校、中学校、高校、大学・・・と子どもが成長していく中で。
少しずつ親から離れて行き、子ども自身が自分のコミュニティを作り上げ・・・
そういう中で子ども自身が身につけていったり、学んでいったり、考えるようになることがたくさんあって・・・
子どもの人生の特に後半は、親がコントロールできる部分がどんどん小さくなっていき。
一方で、子どもの独自性による部分がどんどん大きくなっていくのだけど。
でも、そもそも。
小さいときに与えた環境が違えば。
もっと違う人脈や状況があったかもしれない、とか。
小さいときに教え込んできたことが違えば。
もう少し違う道があったかもしれない、とか。
自分のこれまでの育て方・接し方を省みて、「責任を感じる」ことはすごく分かる気がします。
だから。
「責任はあるか・ないか」
という議論ではないんじゃないか・・・
というのが、私のモヤモヤの根底なのかなと・・・
この文章を書きながら、整理してみた次第です。
それからもう1つ。
人によっては「責任を感じたい」のではないかな
と思ったのでした。
うまく伝えられるかわからないですが。
例えば、何か自分自身がネガティブな感情を抱いている事象があったとして。
それを。
「自分以外の○○のせいだ!○○の責任だ!」
と言ってしまうと。
自分にはやりきれない「怒り」「悲しみ」しか残らないように思うのです。
自分のせいではないのだから。
自分が努力したって何ともできない・・・
でも。
その中に少しでも。
「自分にも少しは責任があるかもしれない」
と思うことで。
何かそこに「自分でできる何か」が見いだせて。
そうすることで。
自分の感じるネガティブな気持ちを少しでも「救いのあるもの」にしてあげられる。
みたいな心理的な部分があるんじゃないかなぁって。
たぶんそれは意図的ではなくて。
ネガティブな感情を存分に味わった自分自身の心が、一生懸命、自分自身を守ろうとしているみたいな。
そういう働きもあるんじゃないかな、と思ったりして。
だからやっぱり。
芸能人のお母さんの会見での発言を捉えて。
「責任はあるか・ないか」
という論調は、私にはどうにもしっくりこなくて。
そんなことを考えながら。
1年ぶりくらいに見る、平日のワイドショーをぼんやり眺めていたのでした。。。
まぁ何よりも傷ついているのは被害に遭った人やその家族なので。
子どもが被害者にも加害者にもならないようにしたいとは、平凡な母として思うところです。。。