久しぶりのエントリーとなりました。
タイトルのとおり。
肺がんになった父は、今、認知症の症状を見せ始めています。
私の気持ちもやや落ち込んでいます。。。
振り返ってみると。
肺の病気で一気に弱ってしまったのが昨年の夏。
→実父が肺の病気に。
そして肺がんと分かったのが昨年末。
→実父、肺がんになる。
脳への転移が発覚したのが今年の夏。
→実父、肺がんが脳に転移する。
脳への転移が発覚し、脳のがんも小さくする治療が必要になりました。
しかし治療は行ったものの、期待ほど小さくはならず…
とはいえ、それでも2/3程度になり、定期的にチェックすることにはなっていたようです。
そして秋になり。
なんだか行動がおかしい父を見て不審に思っていた母は、定期検査の際に改めて父の脳を診てもらったとのこと。
すると憎きがんはまた、大きくなっていたそうでした。
どうやらそのがんが、認知に関わるところに抵触してるようで。
認知症症状が出始めたようです。
トイレや食事などに介助が必要になりました。
カレンダーの日付が分かりません。
そんな状況を聞き、私も週末に実家に戻りました。
お見舞いに行くと。
そこには明らかに風貌の変わった父がいました。
治療でステロイドを使用しているそうで、顔の下方が膨らんだムーンフェイスといわれる症状が出ていました。
また、基本的には寝たきりで。
でも本人は突然動き出したらするものだから、色々な拘束器具を配備されていました。
幸い。
まだ私や母のことはしっかり認識できていました。
私の子供たちのビデオを見せたら、孫のこともちゃんと認識できていました。
今日が何日か分からないのに、私のダンナさんの誕生日も覚えていました。
今年予定している子供たちの七五三詣りの予定も覚えていました。
でも。
眠い、をひたすら繰り返し、すぐにぐぅぐぅ居眠りを始めます。
「眠い」「まずい」「うまい」「いやだ」みたいな単語が多く、文章ではあまり話しません。
ときどきやってくる看護師さんの声かけを聞いていれば、まるで子供と同じ扱いです。
あの父が。。。
そんな思いでいっぱいになりました。
この夏、母にふと。
「これからどうしていくの?」と聞きました。
母は、「これからって?」と聞き返してきて。
言いにくかったですが、「万が一の時。」と言ったら。
「大丈夫、大丈夫。
お父さんにはまだまだ元気でいてもらわなくちゃ困るよ。
これからもどうやって快復できるか出来ることをやるよ。」
と笑って返されました。
そのとき、本当には母は強く逞しいなと思いました。
私の記憶にある母は、基本的に父の言うことに従い、あまり口ごたえもせず。
勝手に弱い人と思っていました。
でも違うんだな、と。
今さらそんなことにも気づかされました。
そして今も。
毎日昼食・夕食には父のいる病院に通い、食事の介助をし、認知症が進まないように話しかけています。
これからどうなるのだろう。。。
東京に戻って、また普通に過ごしている私。
父の存在は記憶とか、心とかそういうところにあるのが日常で。
だから万が一とかがあっても、私の日常は変わらないはずなのに。
父のことを考えると苦しくて、胸の奥がぎゅーっと痛くなります。
運動会やら学芸会やら、子供たちの色々なイベントを迎えるたびに、来年同じイベントの報告を父にできるのだろうかと思って暗い気持ちになります。
母から父の状況を聞くたびに、何の根拠もない「絶対大丈夫だよ!」を繰り返しています。
大好きな父を思うたび、電車の中でも涙が溢れます。
まさかこの歳でこんな思いをするとは思わなかったです。
人生、何があるか本当に分からない。
父はよく、まだ学生の頃の不安になりがちだった私に対して。
「大丈夫だよ。何があったって命までは取られないんだから。」
と言い、笑って送り出してくれました。
だからこそ、言いたいです。
お父さん、どうか命までは取られないで。
お父さん、どうか死なないで。
私より先にいなくなることは順番的に想定内だとしても。
こんなに早くそんなことを考えなきゃいけないなんて想定外なんだから。