4人目への思いを強く感じてることを自覚したのが2015年の夏頃…
→4人目のこども
そしてダンナさんと話し合ったり、こじれたり…
→夫とすれ違う心。
→夫の心境変化。私の今の気持ち。
なかなか妊娠できない現実にも直面して凹んだり…
→なかなかうまくいかないものです。
→不妊かも?!焦り、不安。
→4人を育てる能力。
→ココロにふたを…
そんな中、転職したりで環境変化もあったり…
→転職活動始めました。憧れのGoogle/グーグルに応募してみる。
→ワーキングマザーの転職。転職から1年、この転職は失敗か成功か?
→4人目がほしい気持ち。 × ワーキングマザー2回目の転職。
とうとう不妊治療にも少し踏み出してみたのです…
→不妊治療への思い込み。
→不妊治療=不妊検査だ。
→不妊治療の第一歩。血液検査を受ける。
→卵胞検査を受ける。
(注)ゆっくりと気持ちを整理しながら書いています。
実際の日付から遅れて書いたものです。
「稽留流産」と言われてから10日後。
改めて、産婦人科を訪れました。
ダンナさんが付き添って来てくれましたが。
病院の新型コロナ対策により、家族の付き添いはNGとなっていたので。
駐車場にダンナさんを残し、1人で産婦人科に行きました。
診察台に上がり、経腟エコー。
明らかに。
何も動いていませんでした。
胎嚢もまったく成長していませんでした。
まるで10日前と同じ画像を見ているようでした。
先生の前に座り、冷静な気持ちで。
「稽留流産」
診断結果を改めて聞きました。
自然に流産するのを待つか。
掻爬(そうは)手術をするのか。
「早く前に進みたいので、手術をお願いします。」
淡々と手術日程を決めました。
産婦人科の先生が言いました。
「今回こういう結果になってしまったけど、ダンナさんもあなたも、不妊治療をしなくても妊娠がしっかりと出来ました。
すぐにまた妊娠できると思います。」
慰めの言葉ではあるけど。
「妊娠できた」
これは、揺るぎない事実。
諦めない。
肩を落とさない。
前を向く。
希望をもつ。
手術は1週間後。
その前に、手術が問題なくできるか、心電図と血液検査をすることになりました。
先生の前を離れ、検査室に。
1人横になったら、涙が出てきました。
覚悟していた結果だったけど。
やっぱり辛い。
そう思ったら、泣けてきました。
検査も終わって、駐車場に戻ったら。
ダンナさんが待っていてくれて。
結果を伝えたら。
もっともっと涙が出ました。
やっぱり辛い。苦しい。
前を向こうと思っても・・・苦しい。
ちょっと話は逸れますが。
再診察までの期間、私は落ち込んで過ごしていたわけですが。
日常生活は過ぎていき、仕事も淡々と“こなして”いました。
ある朝、出社準備をしていた私の横にダンナさんがやってきて。
「あー、やる気が出ない!」
とため息をつきました。
ダンナさんは、比較的、家にいるのが好きな人なので。
仕事にやる気が出ないのは、よく見る光景(苦笑)
とはいえ、なんだかいつもと違う様子。
「なんかあったの?」
「・・・別にー。」
このやりとりで。ハッとしました。
流産が分かって、私だけが辛いのだと思っていました。自分のことしか見えていませんでした。
でも。
ダンナさんも、私と一緒で。
喜び→悲しみの大きな波に飲み込まれている。
でも。
私があまりにも悲しんでいるから。
悲しみさえも表現できないんだな。苦しいんだな。
やり場のない感情を持っているのだな。
そんなことに、ようやく気付きました。
再診察後の駐車場でも、ダンナさんは淡々と結果を受け止め。
「次に向けて頑張ろう」と言ってくれました。
ダンナさんがパートナーでよかったと心から思いました。
再診察後の翌日。
夕方頃に、突然出血しました。
まるで生理みたいでした。
でも、その出血は翌日には止まりました。
念のため産婦人科に連絡しましたが、生理2日目の出血より多くなったら、または、腹痛などの痛みが出たら連絡してください、と言われました。
その翌朝。
寝ている間にかなり出血していました。
夜用ナプキン大活躍の、生理2日目のような感じ。
とうとう来たかと思ったら。
なんだか体内からドロッとしたものが溢れ出たのが分かりました。
その日の夕方。
産婦人科で診察を受けました。
ほぼ子宮内のものが出ている、ということで。
手術はキャンセルに。
子宮収縮剤と、感染症防止のための抗生剤とを処方されて、帰宅しました。
私の4年越しの妊娠は。
こうやって終了しました。
今もなお、出血は続いています。
ときどき涙も溢れます。
心の整理をしながら。
淡々と日々を過ごしています。