少しずつ気持ちを整理しながら書いているので、少し日にちがずれています。
2017年12月4日 月曜日。
父の容態が少しずつ悪くなっているという連絡が母からありました。
そもそも。
この日は、退院予定と聞いていた日でした。
家族全員が心待ちにしていました。
その日、退院の迎えに行った母。
主治医の先生から、父が非常に強い痛みを感じ始めていることや、病気の状況が悪くなっていることを知らされたそうです。
先生からは「今帰らなかったら、もう二度と帰るタイミングはない」と伝えられたとか。
しかし、病室で強い痛みに苦しむ父を見ている母は。
いくら訪問看護を受けられるとしても、苦しむ父をその都度ケアしてあげられる環境は自宅にないことは分かっており。
父の退院を断念することとなりました。
「今帰らなかったら、もう二度と帰るタイミングはない」
切ない台詞。。。
そんな連絡を受けた私。
でも一方で、まだまだお父さん頑張っているから、とも伝えてくれる母の声を聞いて。
まだまだその時ではない、と思っていました。
水曜日くらいには仕事も落ち着くので、実家に一度帰ろうとも思っていました。
2017年12月5日 火曜日。
この日。
私のスケジュールには遠方への出張予定が入っていました。
とても珍しいことです。
私が従事している仕事は、さほど出張がありません。
今の会社に転職して、初めての出張です。
また、この出張が決まった経緯はやや独特で。
お客様先でプレゼンをする出張業務。
話題の関連性から、社内調整の中でバックヤードのスタッフである私に指名があり、行くこととなったのでした。
その日。
東京から新幹線で約2時間の出張先へは、お昼前に出発することにしていました。
少しだけ残務を片づけたくて、出社した私。
ある程度のめどをつけてそろそろ会社を出ようとした私の目には、スマホに表示された母からの不在着信通知がうつりました。
ドキドキしました。
嫌な予感しかしませんでした。
すぐに母に掛けなおすと。
「お父さん、すごく苦しそうなの。
○○(私の名前)、こっちに来れる?」
緊迫した母の声が聞こえてきます。
私は母に、
「ごめん。もう出張先に出発しなくちゃいけないの。
終わったら、すぐ帰るから。」
と伝えて、電話を切りました。
1ヶ月以上も前から決まっていた出張。
しかも、自分に対して指名があった仕事。
そんな経緯の業務だから。
突然同僚に「プレゼンやってきて!」とお願いできるとは思えず。
先方にも「やっぱり行けません」と当日に突然言うことも、先方の都合を思えば迷惑すぎる。
(先方は、社内の多くの人を集めていて、そこでのプレゼン機会を調整してくれていたのです)
私の心は大きく揺れていたけど。
ただ「行くしかない」という気持ちだけで、誰にも伝えず会社を出発しました。
会社の最寄り駅で、母に改めて電話をしました。
「お母さん、ごめん。必ず急いで帰るから。」と伝えているだけで、なんだか泣けてきました。
母は、
「お父さんと話す?」と言って、父の耳に携帯をあててくれました。
酸素マスクの音ばかり聞こえてきて、父はもごもごと何か言っていそうなのだけど、まったく聞き取れません。
私は「必ず会いに行くから。まだお願いだから行かないで。」と言いました。
でも伝えなかったら後悔すると思い。
ひたすら最後には伝えなければと思っていた言葉を、一方的に話しました。
電話口からは、酸素マスクの音と、父のもごもごとした音しか聞こえませんでした。
最寄り駅で、たくさんの涙を流しました。
電話をかわった母は、「忙しいところごめんね」と言いました。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「忙しい」わけじゃない。
本当は今すぐ駆けつけたい。
この出張先業務が、よくある出張であり、一世一代の大仕事ではないことも分かっている。
でも、出張先のお客様や会社の上司・同僚が困ったり、たくさんの調整をしなければいけなくなることが目に見えている。
「仕事」と「お父さん」とを天秤にかけているわけでもないし、仕事の方が大事と思っているわけでもない。
でも出張に行くと決めた私は、父よりも仕事を優先した冷徹な人間なのだろうか。
そんなことを思いながら、「とにかく出張先からすぐ帰るから」と伝えて電話をきりました。
東京駅につき、新幹線ホームでぼんやりと空を見上げながら。
私は薄情な娘だろうか。
もしこれで父の最期に間に合わなかったら一生後悔するのだろうか。
本当は出張を取りやめることが正解なのだろうか。
でも、私の心の中には「出張に行かない選択肢」はなくて、それは何でだろうか。
そんなことをぐるぐると考えながら、新幹線を待ちました。
一方で、絶対にまだ間に合う、お父さんは私を待っていてくれる。
そんな気持ちもありました。
独りよがりかもしれないけど。。。
出張先へ着いた私。
ここからは驚くほどいつもの自分でした。
普通に笑い、いつもどおりのプレゼンをしていました。
幸い、スマホには特段の着信履歴やメールが届かずに出張先での滞在を終えることができました。
本当にホッとしました。
そして、すぐに実家のある田舎へと新幹線を乗り継いで帰りました。
病室に行くと、父はまだ居てくれました。
以前訪ねた際は複数人の病室だったのに、すでに個室に移っていました。
シューシューと絶え間なく、酸素の音が聞こえてきました。
父のベッドのそばに行き、
「お父さん、○○だよ」と伝えると。
目を少し大きく開き、うなずいてくれました。
「今日ね、○○(出張先の地名)へ出張してきたんだよ。
○○という会社でね、プレゼンしたんだよ。」
そう伝えると。
目を大きく、まん丸に見開き。
“驚いた”という表情をしました。
(すげぇじゃねぇか)
そう言ってくれているようで、うれしかったです。
もう幼い私ではないのに。
それでもやっぱり父に褒められるのはうれしくて。
そんなことも、私が働き続ける根源だったのだと思います。
このときの父の表情は忘れることが出来ません。
また会えて、話せて、良かった。
出張先から間に合えて、本当に良かった。