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肺がんの実父。最期に伝えたいこととは。


ワーキングマザー 悲しい 涙 泣く つらい余命宣告もあり、短時間の帰省を果たした私。

→肺がんの実父。とうとうやってきた本当の余命宣告。

病室に行き、父に会いました。
すると、意外と元気そう。
とにかく、ただただ、安心しました。

(あとで母に聞くと、いつもより体調が良かったとのこと。)

明るく、たわいもない話をしました。
父が身体を休めるべく横になってからは、私はずっと父の手を握っていました。

抗がん剤治療などのせいか、爪が丸くなった指先。
いつのまにかシミだらけの手の甲。
というか、シミが分かるほど肌が白くなったのでした。

ゴルフ好きで、茶色く健康的に日焼けしていたはずの父の手。
この1年ほどのあいだに、病人のように、老人のように、なっていたんだなぁと。
今、これを書きながら思いました。

大きかったはずの手も。
繋ぐことなんてだいぶなかったから…
いつのまにか普通サイズの手になっていました。

父が肺がんだと分かってから。
以来、私は父に何を伝えたいか、時々思いを巡らせてきました。

まずは昨年末。
帰省からまた東京に戻るときに父に伝えた言葉です。

→新しい年。

1つ。

昔、一度だけ。死にたいと言ったこと。本当にごめんなさい。

もう1つ。

私をこの世に誕生させてくれ、育ててくれてありがとう。

大きくはこの2つ。
一生分の反省と感謝をこめて。

あとは。
細かくはたくさんありすぎて。
書き出したらキリがないのだけど。。。

でも纏めれば、

ありがとうの感謝の気持ち

と。

こんな私を誇りだと言ってくれた父に、

これからも自信をもって生きていくという決意

と。

それしかないです。

これらの言葉がたくさん胸のうちに去来するのを感じながら。
病室のベッドの端に座って父の手を握っていました。

でも。

言うべき時はまだやってきていない

と信じたい気持ちが強くて。

目を閉じて横たわる父にはこれらの言葉を伝えずに…
またね〜!
と言って病室をあとにしました。

弾丸日帰りの翌日は。
気持ちがうまくついていかない自分を感じながらも、子供たちとのんびり過ごしました。

そして月曜日。
やや安らかな気持ちに戻ったのも束の間。
出社して1日を終えても、あまり仕事に手がつかなかった自分に気づきました。

さらには。
母からは父の容態悪化の連絡も届いたのでした。。。



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